指揮者のお話

 指揮者のお仕事 

 舞台上で唯一音を出さないのに堂々と偉そうにしている指揮者の仕事ってご存知ですか?

 楽譜に書いてあるテンポや強弱を指示して演奏させることでしょうか?

 一般的に一つの曲を演奏するには

① その曲の時代背景や作曲者の思いなどを知り

② 表現方法(演奏技術のレべル)を合わし

③ 心を込めることが大切といわれてます。(head hand heart)

 それぞれの演奏者(楽器パート)に方向性を示し、合わせていくことが指揮者の仕事なのです。(演奏者も①、②、③の作業順を逆にしてはいけません。)

……受けを狙うか、楽しく踊るかの選択もあるかもしれませんが……

 音を出さない指揮者は音を出す演奏者よりも音楽に深い理解と愛情を持ち、演奏者に尊敬されなければ立派な指揮者と云えないのではないでしょうか。

ア!それと集中力と体力、統率力やコミュニケーション能力も必要でした。

♪ 指揮棒の歴史 

 オーケストラの演奏会などで、指揮者がさっそうとステージに現れ、指揮棒を片手に、華麗なる音楽の世界を作り上げていく・・・音楽家ならずとも、このような姿にあこがれを感じる人は少なくないでしょう。さて、この指揮者の持っている指揮棒ですが,今のようなスタイルになるまでにはかなり長い年月がかかっています。

17世紀の有名なフランスの音楽家であるリュリは,指揮をするために大きな鉄の杖をドンドンと床にたたきつけたそうです。これには演奏家もうるさくてたまらなかったようですが、このリュリ、実は指揮の最中にこの杖を自分の足の上に落としてしまい、それが原因で破傷風になって死んでしまったのです。その後、19世紀に入っても、しばらくそのスタイルは変りませんでした。例えば,ウェーバーは紙を丸めて筒のようにしてそれを指揮棒代わりに使ったりしていたこともあったということです。

♬ 今のような指揮棒を最初に使ったのはヴァイオリン協奏曲ホ短調や結婚行進曲などで有名なメンデルスゾーンだと言われています。彼が持っていた指揮棒はある文献によると「小形の軽い鯨骨に白いなめし革を張った」ものだったそうです。

ある時、メンデルスゾーンはベルリオーズと親交を結んだ記念に、お互いの使っている指揮棒を交換したそうですが、ベルリオーズのものは、「削っていない、樹皮のついたままの大きな菩提樹の枝」だったそうです。私だったら、やはりメンデルスゾーンが使っていた指揮棒をもらった方がうれしいですが、皆さんはいかがでしょうか。


♪ 指揮者はどんな顔で・・ 

指揮者の大脱走編

 さて演奏会に行かれた方ならお分かりでしょうが、演奏会場ではお客さんも演奏家も椅子に座って行動を制限されている状態です。そんな会場での出来事です。

 指揮者が登場し、客席に一礼したときに事件は起こりました。

 開演後、会場の寒さに気づいた演奏会場の担当者が、暖房のスイッチを入れたのです。その時、いきなり舞台の下から温風と共に白い煙がプワーっと出てきたではありませんか、その後、一時騒然となりましたが、白い煙はダクトに残っていたホコリだったことがわかり一件落着しました。しかし、火事だと勘違いして脱兎のごとく最初に逃げ出したのが一番身軽である指揮者。たった一人、会場の外に出て行ったそうです。

 その後何事もなかったように演奏会は再開されたそうですが……はてさて、どんな気持ちで指揮したのでしょうか?

プログラム順の間違い編

 ベートーヴェンの交響曲第5番と第6番と云えば運命と田園として有名です。

 5番はジャジャジャジャ~ンで有名な男性的な曲で、6番は田園ののどかな風景を描いた女性的な曲です。この2曲を演奏したときの話です。

 プログラムでは5番6番の順番で演奏を予定していましたが、本番前に6番、5番の順に演奏変更されました。もちろん関係者には通知されていたはずだったのですが……

 開演時間になり指揮者の登場となりました。しかし明らかに指揮者の表情が違います。田園を演奏するのに鬼のような顔をしているのです。明らかに運命を振るつもりです。オーケストラのメンバーは「エ! 運命?! 田園?」と落ち着きません。そこで演奏者の代表責任者であるコンサートマスターの動向を注視しているとコンサートマスターは落ち着いた顔で優しい表情をしていました。それを見てメンバーは予定通り田園を演奏するのだと理解しました。そしてどうなったのか。指揮者が鬼の形相で力強く指揮棒を振りおろすと運命の扉を叩くジャジャジャジャ~ンではなく、春の弾むような優しい調べが鳴り出したのです。指揮者はその続きをどのように進めていったのかは定かではありませんが、貴重なベートーヴェンが聞けたことは間違いないでしょう。(演奏家がアイコンタクトできて良かったですね)

♪指揮者のトラブル!? 

 指揮者で指揮棒を使う人は多いのですが、指揮棒も長いのやら短いのやら、木製やあるいは何とかファイバーとか材質もいろいろあり指揮者の好み(値段?)で使われています。でもやっぱり木製が多いですよね!

 この木製の指揮棒はあるときには恐怖?の道具になるのです。

 指揮者は指揮棒を使って拍子や曲想を指示するのですが、指揮者が熱を帯びて棒を振り回す(ゴメンナサイ)ときに、思わず譜面台に指揮棒を叩きつけたり、指揮棒が手の中から飛び出すことがあります。指揮棒そのものや欠けた指揮棒が演奏中のメンバーに向かって飛んでいくことがあります。目にでも当たれば大変なことになります。非常に怖い瞬間いつ起こるか分かりません。

 だから演奏者は常に指揮者を見ていなければいけないのです。(嘘です。指揮者の指示を瞬時に理解するために指揮者を見ていなければならないのです。ゴメンナサイ)

♪ 指揮者も人の子? 

 指揮者や演奏家は演奏会の日時、それらのリハーサルや本番は何時から何時まで……と一連のスケジュールに合わせて日々を送っています。

 でもオーケストラの行動を決めやすい立場にいるのが指揮者。そんな指揮者がしでかしたお話です。

練習でのお話

 ある日、指揮者がオーケストラ練習を予定時間より早く終わらせてしまいました。オーケストラのメンバーは曲を通していない状態なので不安になりました。見かねたコンサートマスターが指揮者室を訪ねるとビックリ仰天、そこにはポーカーに興じる指揮者の姿がありました。指揮者は練習の休憩時に関係者と始めたポーカーの決着をつけるために後半の練習を早々に切り上げたのでした。そんな練習で本番の演奏は上手くいったのでしょうか。

  あ!もっと強者がいました。

演奏会本番のお話

 定刻に演奏会が始まり予定通りに指揮者が登場し無事前半が終了しました。そして休憩をはさんで後半の曲が始まりました。でも練習してきたテンポではなくやたらと速いのでした。曲の雰囲気も変わってしまうほどでした。さて、なぜ早くなったのでしょうか?指揮者が余りにも緊張していたため?それともトイレへ行きたかったのか…………?

 理由は前半の曲をゆっくり振りすぎたために終演時間が遅くなることが気になり、後半の演奏はアップテンポにしたのだそうです。

 何故終演時間が気になったのでしょうか?この指揮者、終演後に友達と大好きなワインを呑みに行く約束をしており、その時間に遅れないように時間調整したのだとか・・その後、楽団員との信頼関係だけでなく、指揮者として仕事は続いたのでしょうか?

 同じような事がテレビCMでもありましたね。(楽団員は転職も検討?)嘘みたいな話ですが……

♪ 若手指揮者への意地悪 

 指揮者はオーケストラをまとめ、指示しなければなりません。でも若手指揮者にとって音楽知識が高く、プライドも高いベテラン奏者の集まるオーケストラの練習は大変です。(俗に演奏者を猛獣、指揮者を猛獣使いに例えることがあります。)

 フランスの交響楽団にイギリスから若手指揮者が来たときの意地悪です。

 どんな意地悪をするのか考えた結果、最初に練習するベートーヴェンの「運命」を交響楽団員全員で半音上げて演奏することにしました。

 だいたい一人が間違えたのなら分かりますが、全員が間違えて演奏されては、指揮者は自分の耳が間違えていると考え、「皆さん全員の音程が違います!」とはよほど自信が無くては言えません。そこが意地悪のツケメで、指揮者が止めて「もう一度」と言って棒を振るとすまし顔で今度は半音下げて楽譜通り演奏する。……こんな意地悪を考えたのであります。

 イギリスの指揮者は指揮棒を折って怒り、すぐにイギリスに帰ってしまいました。次にドイツから新人指揮者を呼ぶことになり同様の意地悪が行われました。

 ドイツの指揮者は最初の音を聞いて自分の耳を信じ、これは悪質な意地悪だと気が付きました。彼はニッコリ笑いました。そして棒を止めず、心なしかテンポを速め、棒を振り続けたそうです。

 楽員は全員が半音を上げて演奏しているのだから大変です。一楽章を最後まで演奏させた後、ドイツの指揮者が言ったそうです。「こんな下手くそなオーケストラは振れない。私は帰る。」

♪ 指揮者の恐怖 

 指揮者って結構恥ずかしい仕事だと思っています。

 私も以前、少しだけ中学生や高校生の指導に行っていた経験がありますので、少しお話を・・・

 学校では音楽の専門教育を受けた立派な先生方が多い中で、素人の私が指導するなんてオコガマシイことでしたが、先生方の要請で(本当は無理やりかも)指揮していた時代がありました。子供たちは素直でこちらの指示通り演奏しようと一生懸命ですし、分からなければ聞きに来ます。そして少しずつ上達していきます。でも、指導している私の私生活や生い立ちは誰も知りません(勿論先生方も)。それなのに不思議な事は起こるのです。

 久しぶりに行った中学校で、なじみの薄い部員達と練習したときです。「ああ上達したな!」「もう少しレベルアップできるな!」と思ったその時でした。

 みんなの奏でる音が「アンタなんか嫌いや。ヤラシイ奴や、小心者や」等、私の心の中を見透かされたような声(音)が聞こえてきたのです。誰とも親しくないし、私は部員の名前すらも良く知らないのに、彼らが私の嫌な内面を音で伝えてきたのです。

 中学生には悪意はありません、そのようなことを企てようにも演奏テクニックはありません。 では何故?…… 何故?……

 私は辛くなり結局練習を続けていくことができなくなってきました。

【答え?】音楽(芸術)は自己表現の一つです。どれだけ自分をさらけ出せるか又、アピールできるかが求められていると思います。

 指揮者は一つも音を発しませんがやはり演奏家なんです。指揮者は楽団という大きな楽器を使って自己表現をしているのです。

 そのためには音楽の基礎知識、演奏曲目の理解力、指揮者としての人間性などが求められていると思います。

 自己表現とは自分のありのままをみせるという事ではないのでしょうか。演奏家は人前で裸になれるほどの勇気が必要という事なのかも知れません。

 ところでその時の練習はどうなったのでしょう?

 いったん休憩を入れて、私のリフレッシュタイムとしました。

(中学生は何故ここで休憩?……中学生は知らなくても良いのだ!)

♪ 指揮者の失敗 

 私の街では年に一度、中学・高校・社会人の吹奏楽クラブ、団体が集まって吹奏楽祭を開催していて、出演団体選抜による合同演奏でしめくくります。

 その合同演奏で指揮を担当していたある年、テューバ奏者が10人ほど集まり低音重視の私としてはテューバをアピールできる絶好のチャンスとばかり、普段はひな壇の最上段が定位置のトランペットを下におろし、代わりにテューバを並べ、低音を響かせる楽器配置を考えました。合同演奏は時間の都合上舞台リハができず、音を確認することができませんでした。このホールはコンサート専用ホールではなく多目的ホールであり、音が天井に向かうテューバの響きは客席に向かわず舞台天井の隙間から消えていったのです。テューバは見てもらうだけ、客席に低音の響きは届きませんでした。結果、演奏は旋律楽器が鳴り響く薄い安定感の無いものになってしまいました。

 演奏会場の特徴(響き)を確認することも指揮者にとって大切な仕事ですね。


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