♪ 和 楽 器 ♬

楽器

♪ 尺八(しゃくはち) 

   私は尺八といえば幼いころから虚無僧が深編笠を被って吹いているイメージがあります。さて、尺八は僧侶が角付けのために用いた楽器だったのでしょうか?それとも隠密の使っていた刀にもなる楽器?

 尺八は日本の木管楽器の一種で、リードのないエアリード楽器(リコーダーやフルート)に分類されます。中国の唐を起源とし、日本に伝来しましたが、その後空白期間を経て、鎌倉時代から江戸時代頃に現在の形の祖形が成立しています。

   名称は、標準の管長が一尺八寸(約54.5cm)であることに由来しています。語源に関する有力な説は、『旧唐書』列伝の「呂才伝」の記事によるもので、7世紀はじめの唐の楽人である呂才が、筒音を十二律にあわせた縦笛を作った際、中国の標準音の黄鐘(日本の十二律では壱越:西洋音階のD)の音を出すものが一尺八寸であったためと伝えられています。英語ではshakuhachiあるいは、Bamboo Fluteとも呼ばれています。

 真竹の根元を使い、7個の竹の節を含むようにして作るものが一般的です。上部の歌口に息を吹きつけて音を出す。一般的に手孔は前面に4つ、背面に1つあります。

 尺八に似た楽器として、西洋のフルートや南米のケーナやオカリナがあります。これらは、フィップル(ブロック)を持たないエアリード楽器です。

♬ 基本的な音域は2オクターブ強。用いられる頻度は少ないですが、倍音を用いてその上の1オクターブの音を出すことができます。

♬ シンプルな運指においては、西洋の12音音階すべての演奏が可能な楽器です。

♬ 尺八が海外公演を始めたころ、日本と西洋の湿度差が異なったため、現地で尺八がひび割れしたことも多かったようです。

♪ 篠笛(しのぶえ)

 篠笛は平安時代にはすでに広く使われていた笛で、上流階級で使われてきた「龍笛(りゅうてき)」、「能管(のうかん)」と比較して、篠笛は庶民階級の間で愛好されていました。

 割れ止めに籐(とう)という細い蔓(つる)を巻き、漆(うるし)を塗るだけの簡素な構造が特徴です。

 篠笛の起源は中国大陸から伝わった「龍笛」だと考えられていますが、篠笛と龍笛は基本構造や音階が異なり、龍笛が簡素化しただけの楽器ではないとも言われています。

お囃子用篠笛

   元々、篠笛は製作しやすく演奏もしやすくするために指穴を均等の間隔で、同じ大きさの穴にあけたものでした。

    この形のものを「古典調」、「お囃子(おはやし)用」と呼んでいます。主にお祭り等で使用されており、調律がされていないのが特徴です。

唄用篠笛:

   昭和初期に民謡(歌や三味線)に合わせやすい笛を作るため、指穴の位置と大きさを調節した篠笛ができました。これを「唄用篠笛」と呼ぶようになりました。唄用の穴の大きさは不揃いで音階が調律されています。

♪ 和太鼓(わだいこ) 

 和太鼓(わだいこ)は、打楽器のひとつ。日本の太鼓の総称です。

 大きく分けて長胴太鼓(宮太鼓)、桶胴太鼓、附締太鼓の3種類があります。祭礼、歌舞伎、能、神社仏閣における儀式等に用いられ、木でできた胴に皮を張り、それを振動させて音を出すものです。桴(ばち)で叩くものを太鼓と呼び、手で叩くも のは鼓(つづみ)と呼ばれています。

 和太鼓は、一般的に残響が非常に良く響き、余韻が残る音が特徴です。和太鼓の構造は、胴の中間が膨らんだ円筒形で、両面もしくは片面に皮が張られていて、ドラムなどの他の打楽器と比べて強度は高いです。

   和太鼓は、縄文時代には既に情報伝達の手段として利用されていたといわれており、日本における太鼓の歴史は非常に古いのです。日本神話の天岩戸の場面でも桶を伏せて音を鳴らしたと伝えられています。長野県茅野市にある尖石遺跡では、皮を張って太鼓として使用されていたのではないかと推定される土器も出土しています。群馬県佐波郡境町の天神山古墳から「太鼓を打つ人物埴輪」 像が出土し、 古墳時代 (3世紀末~6世紀) には日本に太鼓が存在していたことがわかっています。

  中世に入ると、田楽などの発達などによってお囃子太鼓が隆盛します。戦国時代になると、戦国大名達が自軍の統率をとるために太鼓を利用した陣太鼓が興っています。人間の心臓の鼓動に太鼓の鼓動が「シンクロ」することによって自らを鼓舞する性質があるという説もあり、戦における太鼓の使用はこの説に従えば有効な活用法であったと言えます。近年までは、時刻を知らせる為にも太鼓が使用されていました。

 江戸時代には祭礼行事の伴奏としての太鼓演奏のほかに、太鼓好きが集まって太鼓を打つ「のら打ち」なども行なわれ、昭和初期(1930年代)には太鼓の技術や芸を競う太鼓打ち競技会なども現れました。

 今日では、盆踊りの主役として演奏されたり、神と意思を伝達する手段、呪具として神社や寺院に置かれるなどしています

♪ 三味線(しゃみせん) 

 私はテレビの寄席中継で「かしまし娘」が使っていたことで三味線を知ったように思います。近年では吉田兄弟の「津軽三味線」が有名になりましたね。

 三味線は中国の三弦、琉球の三線などと同属の3弦のリュート楽器なのですが、それらが蛇皮線(じゃびせん)と呼ばれるように胴に蛇皮を張るのに対して、日本の三味線には猫皮または犬皮などを張っていました。伝来は永禄(1558~70)頃以前と推定されており、改良者はそれまで琵琶を扱っていた盲人音楽家たちと考えられ、琵琶のそれに似た大きな撥(ばち)で弾くのが特色となりました。

   現在では、種目によって使用する三味線の形状や撥、駒などに相違があり、特に義太夫節浄瑠璃に用いられるものが棹も最も太く大型で、これを太棹(ふとざお)ということもあります。最近これに対して、長唄、河東節などに用いるものを細棹。地歌、常磐津(ときわづ)節、清元(きよもと)節などのものを中棹と分類したりすることもありますが、棹の太さは、たとえば同じ中棹を使用する種目でも演奏者の好みにより多少変えうるもので、本来一定していません。音色上の相違は、むしろ駒の重さや撥によって左右されます。その他、新内(しんない)では小撥で演奏したこともあり、小唄では撥を用いず爪(つま)弾きをします。

 常磐津節,清元節,新内節あるいは長唄でも曲によっては、枷(かせ)をつけた上調子(うわぢょうし)が用いられています。

♪ 箏(琴) 

  そう)は、日本の伝統楽器。十三本の糸が有りますが、十七絃箏など種々の多絃箏もあります。箏は一面、二面(いちめん、にめん)と数えます。

 一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもありますが、「箏」と「琴」は別の楽器です。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するの に対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決めています。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使っています。

♬ 「琴」は日本古来からあるは和琴(わごん、やまとごと)と呼ばれていた六本の弦を持つ楽器で、弥生時代の遺跡から発掘例があるそうです。 また、古墳時代の遺跡からは、琴を弾いている人物をかたどった埴輪も発掘されているようです。 琴には柱がなく、弦を押さえるポジション(これを勘所(かんどころ)と言います)を変えることによって音の高さを決めるのが特徴です

♬ 奈良時代(700年代)になると、中国の唐から十三本の弦を持つ楽器が伝来しました。 それが「箏」で、現在一般的に知られているものになります。

♬ 楽器として日本古来の「琴」が廃れていき中国伝来の「箏」が主流になっていき、「コト」といえば「箏を指すようになりました。しかし、ある時期、当用漢字に「琴」の文字だけが残り「箏」の文字が消えた時に琴の文字を用いて以降、二つの楽器が混同されるようになったようです。

♬ 皆さんもよくご存知の「春の海」は、決してお正月の曲ではなく、目の見えない宮城道雄が、まだ目が見えていた幼少期に暮らした、瀬戸内海の穏やかな海を思いながら曲にしたもので、 世界名曲100選にも選ばれている曲です。
 有名なあのフレーズは、穏やかで温かい海の波が寄せたり返したりしている音なのです。

♪ 琵琶(びわ)

私は「琵琶」といえば亡霊に耳を取られた琵琶法師の話を思い出しますが、貴方はどうですか?

 琵琶は中国を中心とする東アジアに広がった代表的な楽器です。イラン系の4弦が典型的で、5弦琵琶は,インド系です。円胴に長い棹を差込んだ阮咸 (げんかん。のちに月琴となるもの) も琵琶の一つです。いずれも正倉院に唐代のものが残っています。

 琵琶の語源は,古代ペルシアのバルバットともいわれ,西域を通って古代中国に伝わり、管弦合奏の一員としても、歌の伴奏としても、独奏としても、中国人の好む楽器として今日まで用いられてきました。日本には奈良時代以来、唐楽の楽器として伝わり、雅楽の琵琶 (楽琵琶) として、管弦合奏において、いわば分散和音を奏するのに用いられるようになりました。一方,別のルートを経て九州地方を中心に盲僧の読経にも使われ (盲僧琵琶) 、やがて鎌倉時代の初めに『平家物語』を語る伴奏楽器となり (平家琵琶) 、室町時代には薩摩で琵琶歌が興りその伴奏楽器となった (薩摩琵琶) 。明治中期には北九州で盲僧琵琶を変形した筑前琵琶も生れました。現在では,4弦と5弦のものとがあり、その大きさや材料にはさまざまなものがあり、撥 (ばち) の形も種類によって異なります。

♪ 邦楽について 

 邦楽には義太夫、常磐津、清元、長唄などありますが、貴方は区別できるでしょうか。外国人にこれらのものを聴かせると全部同じものに聞こえるようです。ということは、日本人は日本古来の音楽に対して外国人並みになったといえるのではないでしょうか。

     邦楽には「唄」と「浄瑠璃」の区別があり、「唄」は節を聞かせる(音楽が主流)。「浄瑠璃」は物事を聞かせる(音楽を語るために利用)ものだそうです。 イタリアのカンツオーネは「唄」。フランスのシャンソンは「浄瑠璃」的な形をとってきているようです。この「唄」と「浄瑠璃」がそれぞれの流派を作り、芸術を求めて専門化していけば、取り残されるのは大衆です。

 ところが世の中はよくしたもので、この両方を一人で演じ、なおかつ大衆に分かりやすくした「浪曲」が生まれました。しかしながら大衆に支持された芸も現在では廃れてきています。様々な要因はあると思いますが、客を喜ばせるという大衆芸能の本質を忘れ、芸とか芸術などと言い始めると大衆は離れていきます。何故ならば面白くなくなるからです。

    クラッシック音楽は西洋の古くからの音楽ですが、私たちの日常生活の中にけっこう浸透しています(映画音楽やCMなどにも)。日本人である私は邦楽と云われるものを身近なものとして感じられません。マスメディアは西洋崇拝?とは思いたくありませんが、邦楽の良さをもっと発信して欲しいと思っています。西洋音楽ほど表舞台に出てきてないのは何故なんでしょうか?!

    西洋音楽にない間(マ)や息を合わせる文化は日本人の協調性や思いやりの文化に通じると思うのですがいかがでしょうか。

 音楽も大衆に支持されてこその芸ではないでしょうか。基本的に研究者は別として、発信者(作曲家、演奏者等)が独りよがりになっていてはいけないと思います。いかに聴衆に理解してもらえるか。喜んでもらえるのかの視点を忘れてはいけないのではないでしょうか。

 言い過ぎでしたらご容赦を……

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音楽のおはなし ~ライムさんの知得音楽~

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